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【重要】豊臣秀吉がある勢力からの日本の未来を守った出来事

2021年6月30日

皆さんは豊臣秀吉を知っていますよね。百姓から身を立てて関白太政大臣という位人身を極めた人物です。信長に振り回されて苦労した話や、本能寺前後の逸話、ライバルをことごとく蹴落とし出世してゆく話が有名ですが、世界史の観点でいうともっと重要なことを秀吉は行って、のちの日本を救った話を知っている人は少数です。(この話が一般的でないのは後の徳川政権がこの話の流布をタブーとした可能性があります。)

16世紀半ばに鉄砲が伝来して以来、スペイン・ポルトガルなどの船がたびたび来航し貿易を行っていました。当時は数多の戦国大名が乱立しており、中央政府たる室町幕府が終末期を迎え機能停止していたため、海外との交流に関する日本国としての対応を決めることができず、貿易は大名それぞれが勝手に行っていました。有名なのが大村純忠で、小国の大名だった彼はイエズス会に土地を朝廷の許可も得ずに勝手に寄進し、貿易の利益を得たり、強力なスペイン軍の助力を得ようとしていました。織田信長も彼の意のままにならない仏教勢を牽制し、貿易による受益を狙い南蛮貿易を振興していました。のちに信長から政権を引き継いだ豊臣秀吉も当初は南蛮貿易に対して寛容な態度を取っていました。

本能寺の変後の秀吉は近畿・北陸・中国・四国を次々従え、次の平定先として選んだのが九州です。1587年、当時九州を平定寸前だった島津氏を薩摩一国にまで追い詰め、和議をもって九州を平定した秀吉ですが、九州を収めるためにしばらく九州に滞在しているとこんな話を耳にします。
・スペイン・ポルトガルが広めたキリスト教勢力が神社仏閣を破壊している。
・半ば強引なキリスト教への改宗が行われている。
・改宗を拒んだものは奴隷として海外に売り飛ばされている。
・長崎がイエズス会の手によって要塞化されており、日本侵略の拠点になりつつある。

現に当時九州では改宗を拒んだ領民をとらえ奴隷として海外に売り飛ばしており、その被害人口は5万人に上ると言われています。フィリピンではイエズス会がキリスト教を広め、次に商人が入り込んで好き放題商売し、最後に軍隊が来て完全の乗っ取られていました。フィリピンがスペインに乗っ取られていた情報を知っていた秀吉は、イエズス会は国家侵略の急先鋒であると気付き、有名な伴天連追放令を出すに至ります。
バテレン追放令 – Wikipedia

この伴天連追放令はあくまで宣教師の追放をうたっただけのもので、キリスト教への信仰は禁止していませんでしたし、水面下では普通に布教活動が続けられていました。その背景には南蛮貿易は継続したいという意図があったため強力な禁教令は発布できませんでした。

しかしのちに豊臣政権を揺るがす(いえ、のちの日本の行く末を左右する)大事件が起きます。それがサン=フェリペ号事件です。1696年にスペインのガリオン船がメキシコへ航行中に複数の台風に遭い土佐に漂着します。この船の積み荷を巡って土佐を治めていた長曾我部氏と争いになったため、長宗我部元親はスペイン人に対し豊臣政権の重鎮で五奉行の一人である増田長盛に訴えるように伝えます。スペイン人がこれに応じたため増田長盛は土佐に向かいました。当時の日本の海事法として船が難破した場合、漂着した先にその所有権が移るという考え方があったため、増田長盛は土佐に到着後積み荷の接収に取り掛かりました。しかしそれに抗議したスペイン人のうち、航海長であったデ・オランディアが強く憤り、増田長盛に対して「スペインは広大な領土を有する偉大な国で、日本は小さい国だ」と世界地図を示して語りました。それに対し増田長盛は「いかにしてスペインが広大な領土を持つに至ったのか」と尋ねると、デ・オランディアは「スペイン国王は宣教師を世界中に派遣し、布教と共に制服を事業としている。それはまずその土地の民をキリスト教へ教化し、そしてその信徒を内応せしめ、兵力をもってこれを併呑するにあり。」と言い放ったそうです。それを聞いた増田長盛はつぶさに豊臣秀吉にこの事を報告し、日本文化という国家の基盤を破壊しかねない危険宗教であるキリスト教を一切禁止する禁教令が発布されるに至ります。
禁教令 – Wikipedia

当時の日本は急速に鉄砲を量産していた国家で、1600年当時、世界の銃の半分が日本に有ったと言われるくらい軍事大国でした。またスペイン・ポルトガル本国からは遠方であったため、大量の軍隊を送ることができませんでした。それゆえ現地でキリスト教に味方する日本人テロリストの育成が必要だったのですが、禁教令によってそれも頓挫し、結果的に日本侵略を諦めざるを得ませんでした。

しかし豊臣秀吉がイエズス会の野心に気づき手を打っていなかったら、フィリピンやマニラに駐屯していた軍隊が大挙してやってきた可能性もありました。また当時の日本には大砲の鋳造技術がまだなく、全面戦争になった場合にはどちらが勝つともいえない状況でした。そういった意味で豊臣秀吉はキリスト教勢力から日本を守ってくれたと言ってもいいと考えています。

豊臣秀吉が発布した禁教令を継承し、のちの徳川家康も禁教令を再び発布し、その孫の徳川家光は鎖国令を出すことになります。そしていわゆるグローバリズムから日本はいったん切り離されることとなります。

イエズス会の歴史を日本史から離れて調べてみると、宗教的な一面の他に侵略と血の歴史であることが分かります。そのイエズス会ですが実はまだ存在し、日本の各種政財界に影響力を伸ばしています。有名なのが上智大学を設立したのがイエズス会です。また現在の財務大臣で漆黒の噂が絶えない麻生太郎もイエズス会員です。

白人勢力による有色人種差別は今でも確実に存在し、彼らにとっての有色人種は所有物であり、奴隷であり、家畜同然という意識があったわけです。有色人種への虐殺や簒奪は今でも普通に肯定されており、そういった事実を知らない日本人には大変危険な状況となっています。(例:原爆はなぜベルリンに落とされず広島・長崎に落とされたのか)現代の日本にも大村純忠のように白人の使い走りになって日本人の利益を損ねようとする人間は100%存在します。日本国民は国の内外に日本の財産を狙う賊がいることを認知しなければなりません。
「売国奴 一覧」の検索結果 – Yahoo!検索(画像)

豊臣秀吉や徳川家康に守ってもらった日本人としての血脈と心と文化のバトンを万世にわたり引きついていきたいと切に願っています。

参考URL:「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断 海外連行された被害者はざっと5万人にのぼる (msn.com)